dimecres, 12 de maig de 2010

ルンバ講座7『ルンバ自主組織FORCATその2』

ルンバを巡る新たな協力関係の試み(下) マルティ・マルファ

90年代に入るとオリンピックに沸く中で、ドラサネス(ラバルの海側の地区)市民文化センターなど地域機関の側から、局地的ではあったもののルンバを広めていこうという動きが生まれる。中でも目を引く活動は、アルベルト・アルバレス、ダビ・イグレシアス、ジョアン・アントン・サンチェスといった文化人類学者が行った研究を中心に広がっていったものだ。彼らの共著『Sabor de Rumba(ルンバの味)』は、現在においてもルンバ・カタラーナとバルセロナのヒターノの歴史を取り上げた唯一の文献である。

またSOROLLという機関や短期間の活動に終わったバンドSon d'Aquiソン・ダキとマテウ・プジベなどが行った活動も忘れるべきではない。こうした活動は、多少なりともルンバというジャンルを意識したもので、論理的にルンバの変遷や歴史を語るという面での貢献を果たした。事実こうした人々は、Sabor de Graciaサボール・デ・グラシア、Ai Ai Aiアイ・アイ・アイなどと共に活動していた。この二つのバンドはガト・ペレスを引き継ぎ、オリンピック後のルンバ・シーンが干からびてしまっていた時期に、ルンバの精神を絶やすこ となく保ち続けて、新世紀の初めにルンバに関する組織を創設しようというユニークな試みが浮上すると、重要な役割を果たすことになった。この試みが後にFORCATの創設に繋がっていく。

これがRUMBACAT(ルンバ・カタラーナ親善協会)で、結成当初は勢力的に活動したにもかかわらず、ルンバ・カタラーナ・シーンにいる人材と感性を集結させるという側面においては大きな成果を残せなかった。こうした点においては、FORCATRUMBACATの直系にあたると言える。この新組織は先駆者の経験と精神を引き継いで、ルンバ・シーンをまとめる組織を体現しようとしたのだ。

もう一つの動きは、ルンバ・クラブRumba Clubだ。チャルリ・ブラウン指揮の下バルセロナなで行われているルンバ・クラブ は、ルンバ関連の唯一のレギュラー・イベントであり、文化のスープ鍋の役割も果たしてきた。そして、ルンバ・シーンの盛り上がりに貢献しただけでなく、FORCATを運営において鍵となる人々の出会いの場でもあったのだ。

60年代半ばに公の場に姿を表して以降、ルンバ・カタラーナの発展と地位の向上のために、意識的に尽力してきた全ての人々、全ての組織を継承者であることをFORCATははっきりと自覚している。現在FORCATは、文化的にも芸術的にも一つの表現形態をなすルンバに文化遺産としての価値があることを訴えながら、ルンバを音楽の1ジャンルとしてだけではなく、歴史的で社会的な現象としても重要性を持つことを認めるように国に働きかけている。
具体的に言えば、この新組織の活動内容は次のようなものだ。国内の主要なステージでルンバが演奏され、国際的にも認知されるようにする。新しいアーティストの支援や、ルンバの発展に重要な役割を果たした人物の功績を認める。研究 を促進し、ルンバに関する教材を製作する。

こうした差し迫った具体的な要求に応えるための核となるのが、Casa de Rumbaカザ・ダ・ルンバ(ルンバの家)だ。ルンバの家は、このようなイニシアチブが広がり、社会的も音楽的にも現象としてルンバに言及が始まる点として機能するであろう。FORCATは、ルンバのための新しくも確固とした芽生えを表している。今回はこの動きがもっと遠くにまで届くことを期待している。

(その1はこちら

原文はルンバのファン・ジンSanta Rumba vol.1 に掲載されたMartí Marfà著「FOMENT DE LA RUMBA CATALANA

1992年のバルセロナ・オリンピック公式ソングはルンバでした。Los Manolosロス・マノロスの『Amigos para siempre(いつまでも友達だよ)』。
 
そして閉会式にはペレが登場。この曲は、バルセロナを女性になぞらえ、この街に抱く熱い思いを歌った『Gitana Hichicera(魅惑的なジプシー女)』です。