dimarts, 27 de juliol del 2010

カタルーニャ語を学んでみませんか?

以前のルンバ講座で説明しましたが、ルンバ・カタラーナなどカタルーニャ文化の核となっているのが独自の言語カタルーニャ語です。スペインでもカタルーニャ以外の地域では勉強する機会を見つけるのが難しいのが現状なんですが、なんと日本にはカタルーニャ語の講座があるんです。それが、世界各国でスペイン語の振興と教育、そしてスペイン及びスペイン語圏文化の普及に努めるInstituto Cervantesインスティトゥト・セルバンテスの日本支部セルバンテス文化センター東京が、カタルーニャ文化の普及を担う L'Institut Ramon Llullインスティトゥト・ラモン・リュイスの協力で講座を企画しているこちらのカタルーニャ講座。

<カタルーニャ語一般コース>
 登録期間:825日(水)~922日(水)
入門 A1/1 30時間
時間割
コースNo
曜日
時間帯
開始日
終了日
13時間
099
15:30-18:30
102
1211

このコースは、欧州評議会の定める語学力評価基準に沿ったレベル分け、セルバンテス文化センター及びInstituto Ramón Llull の学習指導要領に基づいて実施するコースです。A1/1レベル30時間コース。基本的な日常会話に必要な単語、表現、文章の構造などを理解し、使用することを目的とし、コミュニケーションに焦点を置いて、初日からクラスで学んだことを使用して会話をします。
お問い合わせ:電話03-5210-1706
この講座のサイトはこちら

実は私自身も日本にいた頃、この講座の前身となる日本・カタルーニャ親善協会主催のカタルーニャ講座に通っていたことがあります。日本でカタルーニャ語を勉強していたと言うと、本当に日本には何でもあるんだなって関心されます。カタルーニャはなんだかんだ言ってもカタルーニャ語で溢れているので、興味のある人はちょっとでもかじってみると、また違う側面が見えてきてとても面白いですよ。

ついでに、カタルーニャ語とスペイン語の違いについてお話しておきましょう。この二つの言語にはいろいろと違いがあるのですが、一番大きな違いは音というか響きだと個人的には思っています。ぼーっと聞いていても、耳障りが全然違うんですよね。ということで、メスティサヘ系ルンバを代表するLa Pegatinaラ・ペガティナの曲で、二つの言語の音の響きの違いを比べてみましょう。まずは、スペイン語で歌っている『Mirannda』。

次にカタルーニャ語で歌っている『Gat Rumberu』を聞いてみてください。
いかかですか? 同じ人が歌っているんですけど、大分違って聞こえますよね。

dimecres, 14 de juliol del 2010

ルンバ講座10『ルンバの変遷その2-フランス編』

80年代に入るとルンバ・カタラーナは、お隣の国フランスにも姿を見せ始めます。ちょっと興味深いことなのですが、険しいピレネー山脈は文化を分断する役割ではなく、文化を繋ぐ役割をしていたようで、カタルーニャ文化圏はピレネー山脈の反対側フランス側にも広がっています。それが17世紀頃まではカタルーニャの領土だったフランスのRoussillonルシヨンと呼ばれる地域で、ここではフランス語の他にカタルーニャ語に非常に良く似たオック語という言語が話されています。

こうした繋がりもあって、市民戦争からフランコの独裁政権にかけてのカタルーニャ不遇の時代には、スペイン側からピレネーを越えてフランス側へ亡命する人々がたくさんいました。この中にいたのがGipsy Kingsジプシー・キングスの中心メンバーReyesレイェス一家です。彼らはスペインのヒターノのエッセンスを前面に出すことで、おそらく世界で一番有名なルンバのグループとなりましたが、メンバーはみなフランス人です。おまけに日本で一番有名な彼らの『Volare』の歌詞はスペイン語とイタリア語がごちゃまぜ。よく考えるとかなり無国籍なんですすよね!
 
ちょうどその頃パリ近郊では、スペイン人の両親を持つ二人の兄弟が従兄弟とともにロックバンドを結成します。オリジナル曲に混じって彼らが演奏したのは、なんとスペインのルンバのカバー。前回ご紹介したロス・チュンギートスの『Ay Qué Dolor』をこんな風に演奏していました。

 

本家と比べるとなんとも若々しくて可愛らしいこと(特にハレオ)!ご存知の方も多いと思いますが、このHot Pantsホット・パンツは元Mano Negraマノ・ネグラのボーカルで現在ソロ活動中のMano Chaoマヌ・チャオがマノ・ネグラの前に結成していたバンドです。その後マノ・ネグラを結成すると、ホット・パンツ時代にすでに演奏していた『Mala Vida』が大ヒットし、一気にブレイクしました。
 
前の『Ay Qué Dolor』と比較すると良く分かりますが、このマノ・ネグラ〜マヌ・チャオの代表曲の一つでもある『Mala Vida』は、メランコリックな歌謡曲風の曲調といい、ちょっと恨みがましい感じのラブソングの歌詞といい、キンキのルンバととても良く似ています。言うならばルンバ・パンクといった感じでしょうか。友人のルンベロいわく「キンキのルンバが消費尽くされてスペイン内では誰も見向きもしなくなった時期に、マノ・ネグラはフランスでそれを取り入れて大成功した」とのこと。
80年代末ミクスチャーと呼ばれる音楽が盛り上がる中で、マノ・ネグラと人気を二分していたのがLes Negresses Vertesレ・ネグレス・ヴェルト。彼らも違う形でルンバの影響を受けていました。パルマやギターなどフラメンコの要素がたっぷり入った二枚目のアルバムから『Sous Le Soleil De Bodega』。ギタリストの動きに注目してください。
 
ベンティラドールですね!!イタリア系のボーカルのHelnoエルノを始めメンバーが移民の出身だったせいか、カタラーナよりもっと地中海の匂いのするルンバになっています。次にご紹介するMellinoメリノが演奏するバージョンだと、編成がシンプルなのでもう少しカタラーナ寄りに聞こえます。このメリノはネグレス・ヴェルトのギターの一人StéfaneステファンとパーカションのIzaというMellinoメリノ兄妹が結成したグループで、現在も活動中です。
 

dimecres, 7 de juliol del 2010

ルンバ講座9『ルンバの変遷その1-スペイン編』

さて、ルンバの王様ペレの商業的成功によって、スペイン全土にその名が知られたルンバ・カタラーナ。その後の歩みを追ってみましょう。

ペレはヒット曲をタイトルにする映画に主演するなど、クレイジーキャッツの植木等を思わせる国民的スターとなりますが、ルンバも時代の流れには逆らえません。世界中の人々を熱狂させていたロックがスペインにも上陸し、人々の心は次第にルンバから離れていきます。そんな中で、Amaya兄弟を中心に結成されたLos amayaロス・アマヤは、 そうした新しい要素を取り入れたルンバで、聴衆の心を掴みます。
 

こちらロス・アマヤの『Zapatero Remendónサパテロ・レメドン』。ペレのルンバに比べると楽器もアレンジもぐんとモダンになっていますが、パルマやベンティラドールといったルンバ・カタラーナの枠はしっかり守っていますよね。

フラメンコと総称されるヒターノの音楽は伝統を重んじる傾向があるので、かつては他のジャンルと混ぜ合わせることに抵抗があったようなのですが、ルンバ・カタラーナがポピュラーになったことによってそのハードルが低くなり、フラメンコが様々な音楽に取り入れられていきます。

アンダルシアでは、カタルーニャ生まれのKiko Venenoキコ・ベネノがフラメンコ出身のAmadorアマドール兄弟RaimundoライムンドとRafaelラファエル出会いVenenoベネノを結成。CamaronカマロンやPaco de Luciaパコ・デ・ルシアといったフラメンコ界の大御所と共演して注目を浴びます。その後ソロとなったキコは現在も現役で活動中で、フラメンコ・フォークとも呼べる独自のジャンルを確立しています。こちらの『Volando Voyボランド・ボイ』は、すでにクラシックとなった感のある彼の名曲。


一方、ルンバとロックの融合が大きく花開いたのは首都マドリッド。Caña Rotaカニャ・ロタというレーベルを中心に、バンド編成でルンバを演奏するグループが現れます。ルンバ・カタラーナの歌詞はユーモアに溢れた陽気なものが多いのですが、このただ「ルンバ」と呼ばれる新しいルンバはフラメンコを思わせるメランコリックな歌詞が大きな特徴です。Los  Chunguitosロス・チュンギートス、Los Chichosロス・チチョスという二大グループがヒット曲を連発して、新しいルンバブームが訪れました。こちらはロス・チュンギートスの『Ay Que Dolorアイ・ケ・ドロール』。


また、ちょうどこの頃スペインの社会は大きな転換期にありました。1974年フランコの死によって独裁政権の時代が幕を閉じ、Trancisión(民主化への移行期)と呼ばれる時代を迎えていたのです。こうした状況の中で、自由を謳歌し急速に変化する社会から取り残される人々もいました。その一つがQuinquiキンキと呼ばれる若者たちです。彼らはヒターノなど社会から疎外された層の出身で、新しい社会を生き抜いていくために、車の盗難や強盗、ドラッグの売買などに手を染めていったのです。大きな社会問題となったこのテーマを扱った映画が、70年代後半から80年代前半にかけて続々と製作され、スペインではキンキ映画という1ジャンルを形成するまでになります。

社会への苛立ちや疎外された孤独感を歌ったロス・チュンギートスやロス・チチョスなどの楽曲がこうした映画に使用され、ルンバがキンキのサウンド・トラックとしての位置を確立しました。こちらはロス・チチョスによる映画『El Vaquillaエル・バキリャ』の主題歌です。映像は実在したキンキToreteトレテの幼少時代を描いた同名の映画から