dimecres, 26 de maig del 2010

ルンバ講座8『カタルーニャってなに?』


ルンバ・カタラーナのカタラーナは「カタルーニャの」という意味だということは、以前にご説明しました。今回は、このカタルーニャについてお話してみたいと思います。

Catalunyaカタルーニャはスペインにある17の自治州の一つで、その州都は言うまでもなくバルセロナ。スペインは地方分権の国なので、自治州によって程度の差があるものの、各州がかなりの政治的権限を持っています。カタルーニャの自治権は基本的に財政以外の全ての分野に及んでいて、自前の警察を持ち社会保険などの社会サービスも独自に運営しています

その中でも最も興味深いのが言語。ここではスペイン全土の公用語Castellanoカステリャーノ(いわゆるスペイン語)の他に、Cataláカタラン(カタルーニャ語)という言語が公用語として認められています。この二つの言語には上下関係はなく、平等に使うことになっているのですが、行政関係の書類や教育システムなどはカタランが中心になっています。つまり、公立の学校では授業は基本的にカタランで行われていて、子供たちはカリキュラムの一つとしてカステリャーノの授業を受けるのです。

では、このカタルーニャ語(カタラン)がスペイン語とどれくらい違うのか、お隣の国ポルトガルの言葉ポルトガル語との比較して見てみましょう。

日本語
スペイン語
ポルトガル語
カタルーニャ語
私は日本人です
Yo soy japonesa
Eu sou japonesa
Jo soc japonesa
名前はマリアです
Me llamo Maria
Chamo-me María
Em dic Maria
英語を話します
Hablo inglés
Falo inglés
Parlo anglès
犬が好きです
Me gustan los perro
Eu gosto de cães
M’agraden els gossos
こんにちは
Buenos días
Bom dia
Bon dia
さようなら
Adios
Adeus
Adéu
ありがとう
Gracias
Obligado/a
Mercès/Gràcies
どういたしまして
De nada
De nada
De res
 
スペイン語チャンネルのニュースでは、ポルトガル語に字幕がつくように、カタルーニャ語にも必ず字幕が付きます。また、英語のCharlesチャールズは、独語でKarlカール、仏語でCharlesシャルル、伊語でCarloカルロといった風にヨーロッパ圏では一つの名前が言語によって変化するのですが、これもスペイン語/ポルトガル語はCarlosカルロス、カタルーニャ語はCarlesカルラスと異なります。同じロマンス語系の言語なので似てると言えば似ているのですが、やはり違う言語なんですよね。

イベリア半島内で同じように固有の言語・文化を持ちながらも、ポルトガルは一つの独立国家で、カタルーニャはスペインという国家の一部に留まっている。この違いはどこにあるのでしょうか? この状況を理解するために、ちょっと歴史を紐解いてみましょう。

元々イベリア半島は異なる言語や文化を持つ王国がいくつも存在していたのですが、大航海時代に続くスペイン帝国の黄金期フェリペ2世の時代にスペインはイベリア半島の統一に成功、現在のポルトガルを含むイベリア半島全域を支配化に治めます。その後、まずカタルーニャが独立を目指して蜂起し、それに乗じてポルトガルも反乱を起こします。ここが運命の分かれ道でした。

スペインにしてみれば、カタルーニャを失えばヨーロッパ大陸と地中海へ抜ける交通の要所を失うことになりますが、ポルトガルの先にあるのは広大な大西洋だけ。一度に二つの蜂起を納めることは無理だと考えたスペインは、軍隊をカタルーニャに結集させるという決断を下しカタルーニャの反乱を鎮圧、その間にポルトガルは独立を達成します。イベリア半島における現在の国家の枠組みは、この17世紀の出来事が元になっているのです。

実は、私がカタルーニャに興味を持ったのは、ポルトガル留学時代のポルトガル史の授業でこの歴史的事実を知ったのがきっかけでした。実際、ポルトガルとカタルーニャ両方で暮らしてみて思うのは、カタルーニャ文化とポルトガル文化の独自性というのは同じようなレベルのものです。一方が一つの国家でもう一方が自治州という現在の状況を分けているものは、この歴史の偶然以外の何物でもないんですよね。実際のところ、どちらの状況がいいのかはわかりませんが。

というわけで、今回は音楽の話からはずいぶん逸れてしまいましたが、ルンバ・カタラーナを生んだカタルーニャについてお話してみました。こういう背景があるからこそ、現在FORCATが中心となって活動しているように、ルンバ・カタラーナを「カタルーニャの文化」として位置づけようという動きが生まれてくるんですね。

スペインの外に、カタルーニャ語を中心とするカタルーニャの文化を広める活動をしているのがL'Institut Ramon Llullという機関です。2008年の夏にはニューヨークでLa Troba Kung-FúとPeretのライブを行いました。これがその時の模様です。

diumenge, 16 de maig del 2010

祝バルサ・リーガ2連覇!!バルサのルンバ

La Liga EspanyolaリーガエスパニョーラでのF.C.Barçaバルサの優勝が決まりました!! 外では花火とクラクションが鳴り響いています。実のところ、私自身はサッカーに全く興味がないのですが、バルセロナに住んでいると、バルサの試合の結果は気にしていなくても自然とわかる、言ってみればお天気のようなもの。 

その影響力といったら桁外れで、重要な試合の中継中は街から人が消えてしまいます。以前の記事で書いたDiada de la Rumba Catalana(ルンバの日) も日程の発表後に、クラシコと重なるから人が集まらないだろうと開催を2週間遅らせたほど(発表する前に確認しないのも驚きですけど)。バルサと泣く子には勝てないんですね。

というわけで、今回はバルサのリーガ2連覇記念に、バルサ関連のルンバを日本語の訳詞付きでご紹介します。
まずは、Rumba Tarumbaルンバ・タルンバの『El Soci de Barça(バルサのソシオ)』。スペインではサッカーチームのサポーターのことをsocioソシオと呼びます。

Olelé Olalá !! ser del Barça ès lo millor que hi ha !!
El soci del Barcelona es una persona acostumada a patir
Pero amb aquesta cantera posada a la Guardiola: 
6 copas i el 2 a 6
Marca el qui corra el qui no curra cau a la sorra

El meu carnet de soci, ara resulta un bon negoci
Diumenge vaig al camp a veure com la magia avui funciona
Un bon cop de falç, catalunya es mes qu'un club si la bossa sona.
Olelé Olalá !! ser del Barça ès lo millor que hi ha !!
Salutaciooooonsss!!!
オレレ・オララ バルサのソシオでいるほど素晴らしいことはない!

バルサのソシオは心労には慣れっこさ
グアルディオラに一任された生え抜きの人材で 
(昨年は)6 つのトロフィー と(対マドリッド)2-6
走るやつがゴールを決めて 走らないやつはピッチに倒れる

俺のソシオのカードは 今じゃ立派な商売
日曜日にはスタジアムに行って見るのさ
今日はどんな魔法を使うのか
鎌の一振り カタルーニャはサッカーチーム以上の存在
もし懐が潤ってれば 

オレレ・オララ バ ルサのソシオでいるほど素晴らしいことはない!! 
よろしく!!
お次はSabor de graciasサボール・デ・グラシアによる『Hinme de Barçaバルサのイムノ』ルンバ・バージョン。ベンティラドールが効いてます!!

Tot el camp
es un clam
som la gent Blau Grana
Tan se val d'on venim
Si del sud o del nord
ara estem d'acord estem d'acord
una bandera ens agermana
Blau Grana al vent
un crit valent
tenim un nom el sap tothom
Barça!, Barça!, Baaaarça!!!!
Jugadors
Seguidors
tots unit fem força
son molts d'anys plens d'afanys
son molts gols que hem cridat
i s'ha demostrat s'ha demostrat
que mai ningú no ens podrà tòrcer
Blau Grana al vent
un crit valent
tenim un nom el sap tothom
Barça!, Barça!, Baaaarça!!!!
スタジアム全体が
一体となってどよめく
我々は青と深紅の人
どこから来たかなんて関係ない
南から来ても 北から来ても
今我々は一丸となる
今我々は一丸となる
旗が我々を一つにする
風に舞う青と深紅
勇ましい叫び声
我々には名前がある
誰もが知ってるその名前
バルサ バルサ バアアアルサ!!
選手も
ファンも
一致団結して力を合わせよう
苦難に満ちた年も多いが
歓喜に叫んだゴールも多い
それが証明しているのは
それが証明しているのは
我々は誰にも屈服しないこと
風に舞う青と深紅
勇ましい叫び声
我々には名前がある
誰もが知ってるその名前
バルサ バルサ バアアアルサ!!
最後は Ai Ai Aiアイ・アイ・アイによる『Hinme de Barçaバルサのイムノ』ルンバMIX。
 
現バルサ監督PepペップことJosep Guardiolaジョセップ・グアルディオラの名字はカタルーニャ語で貯金箱の意味なんですって。 Barça,Felicitats Campions!!!

dimecres, 12 de maig del 2010

ルンバ講座7『ルンバ自主組織FORCATその2』

ルンバを巡る新たな協力関係の試み(下) マルティ・マルファ

90年代に入るとオリンピックに沸く中で、ドラサネス(ラバルの海側の地区)市民文化センターなど地域機関の側から、局地的ではあったもののルンバを広めていこうという動きが生まれる。中でも目を引く活動は、アルベルト・アルバレス、ダビ・イグレシアス、ジョアン・アントン・サンチェスといった文化人類学者が行った研究を中心に広がっていったものだ。彼らの共著『Sabor de Rumba(ルンバの味)』は、現在においてもルンバ・カタラーナとバルセロナのヒターノの歴史を取り上げた唯一の文献である。

またSOROLLという機関や短期間の活動に終わったバンドSon d'Aquiソン・ダキとマテウ・プジベなどが行った活動も忘れるべきではない。こうした活動は、多少なりともルンバというジャンルを意識したもので、論理的にルンバの変遷や歴史を語るという面での貢献を果たした。事実こうした人々は、Sabor de Graciaサボール・デ・グラシア、Ai Ai Aiアイ・アイ・アイなどと共に活動していた。この二つのバンドはガト・ペレスを引き継ぎ、オリンピック後のルンバ・シーンが干からびてしまっていた時期に、ルンバの精神を絶やすこ となく保ち続けて、新世紀の初めにルンバに関する組織を創設しようというユニークな試みが浮上すると、重要な役割を果たすことになった。この試みが後にFORCATの創設に繋がっていく。

これがRUMBACAT(ルンバ・カタラーナ親善協会)で、結成当初は勢力的に活動したにもかかわらず、ルンバ・カタラーナ・シーンにいる人材と感性を集結させるという側面においては大きな成果を残せなかった。こうした点においては、FORCATRUMBACATの直系にあたると言える。この新組織は先駆者の経験と精神を引き継いで、ルンバ・シーンをまとめる組織を体現しようとしたのだ。

もう一つの動きは、ルンバ・クラブRumba Clubだ。チャルリ・ブラウン指揮の下バルセロナなで行われているルンバ・クラブ は、ルンバ関連の唯一のレギュラー・イベントであり、文化のスープ鍋の役割も果たしてきた。そして、ルンバ・シーンの盛り上がりに貢献しただけでなく、FORCATを運営において鍵となる人々の出会いの場でもあったのだ。

60年代半ばに公の場に姿を表して以降、ルンバ・カタラーナの発展と地位の向上のために、意識的に尽力してきた全ての人々、全ての組織を継承者であることをFORCATははっきりと自覚している。現在FORCATは、文化的にも芸術的にも一つの表現形態をなすルンバに文化遺産としての価値があることを訴えながら、ルンバを音楽の1ジャンルとしてだけではなく、歴史的で社会的な現象としても重要性を持つことを認めるように国に働きかけている。
具体的に言えば、この新組織の活動内容は次のようなものだ。国内の主要なステージでルンバが演奏され、国際的にも認知されるようにする。新しいアーティストの支援や、ルンバの発展に重要な役割を果たした人物の功績を認める。研究 を促進し、ルンバに関する教材を製作する。

こうした差し迫った具体的な要求に応えるための核となるのが、Casa de Rumbaカザ・ダ・ルンバ(ルンバの家)だ。ルンバの家は、このようなイニシアチブが広がり、社会的も音楽的にも現象としてルンバに言及が始まる点として機能するであろう。FORCATは、ルンバのための新しくも確固とした芽生えを表している。今回はこの動きがもっと遠くにまで届くことを期待している。

(その1はこちら

原文はルンバのファン・ジンSanta Rumba vol.1 に掲載されたMartí Marfà著「FOMENT DE LA RUMBA CATALANA

1992年のバルセロナ・オリンピック公式ソングはルンバでした。Los Manolosロス・マノロスの『Amigos para siempre(いつまでも友達だよ)』。
 
そして閉会式にはペレが登場。この曲は、バルセロナを女性になぞらえ、この街に抱く熱い思いを歌った『Gitana Hichicera(魅惑的なジプシー女)』です。

divendres, 7 de maig del 2010

カタルーニャ夏フェス情報!!

冬の間は半分眠ったような感じのバルセロナですが、春の訪れとともに一気に活気付いてきました。夏に向けてライブやイベント情報が続々発表されているので、今回はルンバのアーティストが参加する夏フェス情報をご紹介します。(太字がルンバ関連アーティスト)

6171819日 VI Caixa Sabadell Etnival
スペインでは銀行が文化施設を作ったりと文化貢献に積極的なのですが、このフェスもその一環です。サバデイ銀行の文化貢献の一つとして行われるので、特別公演のDiego el Cigalaを除いて全て無料!! 
バルセロナの北にあるジローナで3日間に渡って行われ、計14のアーティストが参加します。
公式サイト(カタルーニャ語・スペイン語)
 
 6/17
Diego el Cigala(唯一の有料コンサートで35ユーロ)
Electrotoylets

6/18
Sambé do Timbalé
Microguagua
Che Sudaka 
La Pegatina
Ozomatili
DJ Tommi

6/19
Vallsamba
Els Pirat’s Sound Sistema
Color Humano
Bomba Estéreo
Morodo
DJ Russ Jones

6252627日  Esperanzah!!
有名フェスのチケットの 高騰や商業主義に反旗を翻し、「自分たちの手で自分たちのためのフェス」を作ろうとベルギーで始まったフェス Esperanzah!!エスペランサ。昨年からバルセロナでも開催されるようになりました。
スポンサー企業なしでも、3日間の通し券がなんとたったの45ユーロ(約6000円)!!
DJ3日間に渡ってSelector Matanzasが担当します。
公式サイト(スペイン語)

6/25(金) 
Canteca de Macao
Damba
Les Poutrelles Fever
Microguagua
La Kinky Beat

6/26(土) 
Ojos de Brujo
Quantic Orchestra Barbaro
Balkatalan Experience
Sam Tshabalala

6/27(日)
El Niño de la Hipoteca
Amparo Sánchez
Pedro Guerra
Trikordeón La Troba Kung-FuJoan Garriga, PomadaCarles Belda, そしてコロンビアのバジェナートのマエストロ”Antonio Rivasという3人のアコーディオン奏者が、エスペランサのために結成する1日だけのアコーディオンユニット)

ちなみに二つのフェスの中日に当たる23日は、夏至を祝うカタ ルーニャの火祭りSant Joanサン・ジョアンの日です。この夜を歌ったのがラ・トロバ・クンフーのCumbia Infierno クンビア・インフィエルノです。
ルンバに根を持つMestisaje メスティサヘが盛んな土地柄を反映した豪華なラインアップ。 
バルセロナへの旅行を考えている皆さん、フェスに合わせてスケジュールを組んでみてはいかがですか?

dimarts, 4 de maig del 2010

ルンバ講座7『ルンバ自主組織FORCATその1』

現在のバルセロナのルンバ・シーンがとても興味深いのは、ルンバを愛する人々の手でルンバの未来を作っていこうという動きがあることで、その中心となっているのが通称FORCAT
(FOMENT DE LA RUMBA CATALANA/ルンバカタラーナ振興協会)という組織です。

ということで、ルンバのファン・ジン『Santa Rumba vol.1 』に掲載された記事を使って、ここまでの動きをご紹介したいと思います。

ルンバを巡る新たな協力関係の試み(上) マルティ・マルファ

ミュージシャンのみならずルンバに関わる人々が幅広い層から参加した第1回ルンバ・カタラーナ・シンポジウムの開催からすでに一年が経過した。それ以降の動きを追ってみよう。

ルンバのために力を合わせるという口実で、疲れを知らないルンバの外交官チャルリー・ブラウンことカルラス・クロザは、主要なルンバのミュージシャン、プロモーター、ジャーナリスト、研究者、愛好家などを一同に集めることに成功した。

この集まりは、新しい人間関係を作る出会いの場というだけでなく、ルンバ・カタラーナをのさらなる発展を促し、社会や行政機関にその存在を認めてもらうことを目指して、共同でプロジェクトを進めて行くための下地を作る場でもあった。というのもその先には、ルンバ・カタラーナのためのプラットフォームを設立し、ルンバに関わる人々が共に活動するための組織を設立する礎となるマニフェストを作成・承認するという目的があったからだ。

その後数ヶ月に及ぶ議論と準備作業を経て、2009512月にFORCATが正式に発足する。この新組織は、組織内部を固めるためにさらなる時間を費やした後、1213日ルンバの日の開催に合わせて公式に発表されることになった。「Diada de la Rumbaルンバの日」には、丸一日かけてルンバに関連する様々なワーク ショップやコンサートが開催され、そのどれもが無料で参加できるため、ルンバを知ってもらう絶好の機会となった。

こうした動きは比較的短期間に起こった出来事だが、意識的にルンバのために活動しようという動きは、もう少し歴史の長いもので、その始まりは80年代Gato Perezガト・ペレスにまで遡る。

グラシア地区のヒターノのお祭りでルンバを発見した70年代半ば、ガト・ペレスにはミュージシャンとしてすでに10年のキャリアがあり、今まで演奏してきたジャンルを考えると、彼は完全なアウトサイダーだった。また、パヨ(ヒターノの言葉でヒターノではない人を指す。ヒターノを指すカロと対で使用される)である上にアルゼンチン出身の彼は、 ジャズ・ロック・フォークを融合した『Ona Latinaラテンの波』と呼ばれるムーブメントの出身だったのだ。 

しかし時には、こうした表面上の距離が、客観的な幅広い視点から事象を捉えて、その価値を的確に測ることを可能にする。ガトはルンバの歴史に言及して、ルンバを理論付けしただけではなく、聴衆も行政機関も目を向けない状況の中で、ルンバを正真正銘のバルセロナの音楽として位置づけることで、ルンバに文化遺産としての価値があると明言したのだ。

彼と共にこうした地道な作業を行ったのが、80年代のルンバ・シーン史を作成したジャーナリスト、マルコス・オルドニェスや作家のフランシスコ・カサベヤ、そしてDJラグナンピサことジョルディ・ジルだ。しかし、こうした「活動家」たちによる活動はあくまでも個人的なもので、組織化された集団的な動きとなることはなかった。

フランコ死後の民主化の動きの中で、カタルーニャにはヒターノの組織が生まれたが、その計画表の中にルンバは含まれていなかった。その例外がグラシア地区のヒターノ組合で、彼らは80年代に地域の中で、ルンバというジャンルを打ち出したライブを月に2回開催しており、これが若い世代のミュージシャンを支援し、ルンバを庇護する役割を果たした。しかし、この時期にルンバのライブを企画しようと考えるライブハウスはほんの少ししかなかった。

グラシアの組合は、生演奏に対して市内のバルなどが今よりももっと寛容であった時代に、伝説的なグラシアのバル・ペチナやオスタフランクスのラス・カニャス、ラ・エラ通りのエル・サルチチョンやエル・バル・デル・トニなどが果たしてきたルンバ・シーンの核という役割を引き継いだのだ。

(その2はこちら

原文はルンバのファン・ジンSanta Rumba vol.1 に掲載されたMartí Marfà著「FOMENT DE LA RUMBA CATALANA

第1回ルンバ・シンポジウム後に行われたジャム・セッションの模様です。