dimarts, 17 de maig del 2011

ジョアン・ガリーガ・インタビュー後編

©Shhhhh
カタルーニャ語の歌詞が多いですね。
僕にとってはカタルーニャ語が日常の言語だから、カタルーニャ語で歌うというのは当たり前のことなんだ。歌を作り始めた頃、その当時のカタルーニャ語の音楽はそんなに好きじゃなかったから、それまでに聴いてきた音楽は主に英語とスペイン語のものが中心だった。
でも自分で歌詞を書くようになってみると、カタルーニャ語でないと伝えられないものがあることに気がついた。スペイン語で歌も歌うし、本もたくさん読むけれども、僕にとってはカタルーニャ語が母語だから、カタルーニャ語でしか伝えられないものがある。それで、カタルーニャ語で書こうと思ったんだ。
※1stアルバムから全編カタルーニャ語の『Calor Calor』
本格的に音楽を始める前に勉強していた映画や哲学は、僕にとってはあまりに精神的なもの過ぎた。それとは違って、音楽っていうのは動き。つまり身体的なもの。だから自然に出て来るものだと思う。一曲一曲がひとつの世界で、一曲完成させるのに何度も書き直すこともあれば、すぐ出てくることもある。
でも、本当は自然にすっと出てこなければいけない。もし自然に出てこなければ、それはもうしばらくしまっておいたほうがいい。だから、言葉の使い方とか引用の仕方も無意識に僕の中から沸き出てくる。すべてが自然に出てくるものなんだ。
そうしてカタルーニャ語で書こうと思ったときに、自分が小さいときに聞いたカタルーニャ語の童謡や子供向けの歌の影響をすごく受けていることに気がついた。幼少時代がインスピレーションの源なんだ。最新作のタイトル『も『Patufetパトゥフェ』というカタルーニャの子供向けのお話から来ている。 
これは、僕にとってはとても美しい物語なんだ。主人公の男の子パトゥフェは、生まれたときからものすごく小さい子供だった。彼は好奇心が旺盛だったから、いろんな世界を見たいと思っていたんだけど、両親は彼があまりにも小さいから、外に出て行ったら踏み潰されてしまうんじゃないかと心配していた。
パトゥフェは「僕は踏まれないように歌いながら道を歩くから大丈夫だよ」と両親を説得して、歌いながら町に出かけていく。「パティン、パタン、パトゥン。男の人も女の人も前を見て。パトゥフェを踏まないで」って歌なんだけど、ルンバのリズムなんだよ。
町でいろんなお店に行って大喜びのパトゥフェは、お土産を持って田舎にいる両親のところへ帰ろうとした。ところが、雨が降り始めてきたから、キャベツの下で雨宿りをするんだ。そこに、雄牛がやってきてキャベツと一緒にパトゥフェを食べてしまう。
パトゥフェが帰ってこないのを心配した両親は、「どこにいるんだ、パトゥフェ?」って呼びながら、外を探しまわる。その声を聞いたパトゥフェは「雨も雪も降らない雄牛の腹の中だよ」って答える。ここからアルバムタイトル「la panxa del bou(雄牛の腹)」が来ているんだ。
僕にとっては、このパトゥフェがヒーロー。王様とか軍隊だとか英雄には飽き飽きしてたんだ。とても小さいのにとても勇気があるんだから、彼こそが本物のヒーロだと思う。それに、おなかの中にいる胎児をメタファーにしたと美しい物語でもあるし。
  ※最新アルバムからカタルーニャ語、英語、スペイン語とごちゃまぜの歌詞の『Subway Walk』 。途中で「パティン、パタン、パトゥン」と言っているわかりますか?
-今回のアルバムは英語でも歌っていますが。
試してみたんだ。他の言語で歌うのも、カタルーニャ語で歌うのと同じように大事なことだからね。たくさん旅をしているけど、旅先ではいつも辞書を持って歩いてメモしたりして、その場所の言語を知るようにしている。英語がわかればどこにでも行けるけれど、やっぱり行ったら場所のものを体験したいから。日本でマクドナルドを食べることもできるけど、日本に行ったら日本の食べ物を食べたいし、日本の言葉もちょっと勉強したいなって思うよ。
アルバムには入らなかったけれどもフランス語で作ったフラメンコの曲もあるし、ちょっとだけチェコ語で作ったものもある。自分の言語がカタルーニャ語っていうマイノリティの言語だから、言語に対する繊細さがあるのかもしれないけど、使う言語によって見てる風景っていうのは変わってくるんだ。言葉っていうのはそれぞれがひとつの世界だからね。 (前編はこちら

dimarts, 10 de maig del 2011

ジョアン・ガリーガ・インタビュー前編

DusminguetsドゥスミンゲツからLa Troba Kung-Fúラ・トロバ・クンフーへとスタイルを変化させながらも、バルセロナの音楽シーンにおいて常に注目される存在であり続けるJoan Garrigaジョアン・ガリーガ。ツアー中ということで時間的に厳しいスケジュールの中、知る人ぞ知るバルセロナのバルEl Mariatchiエル・マリアッチの全面協力もあって、インタビューが実現しました!
©Shhhhh
-バルセロナはあなたにとってどういう場所ですか?
まず僕にとってバルセロナは人生で最初の大都市。そして、バルセロナは一つの大きな街っていうよりは、小さな地区の集まりみたいなもの。だから、僕も地区単位でバルセロナを考えている。地区ごとに異なった顔があるんだよ。
僕は様々な国にある小さな違いが好きなんだけど、バルセロナは観光寄りの政策に偏ったがために、現在は世界中のどこでも見られるようなフランチャイズの店ばっかりが増えてしまった。本当に残念なことだ。まあ、問題はあるけれども魅力的なことには変わりないよ。ふらふらと気ままに歩き回ることができるからね。ふらふらするのは旅することで、生きることでもある。
ツアーで様々な土地を回りながら、一つ一つは全く違うんだけどどれも甲乙付けがたいほど素敵な場所をたくさん見てきたよ。信じられないほど素晴らしい場所が、世界にはいっぱいあるんだ。多くの場合、その内部にいる人間は気がつかないんだけど。中にいると自分たちが何をもってるか、なかなかわからないものだからね。
かつてサン・ジョアンの祭り(カタルーニャ地方で夏至を祝うのお祭り)では町中で焚き火をして、いらなくなった家具とか古くなったものを通りで燃やしたんだ。でも数年前から焚き火で焼くのが禁止になってしまった。小さいときに見たサン・ジョアンの風景っていうのが、僕にとってはとって素晴らしいものだったから、残念で仕方がないよ。
※サン・ジョアンの祭りを歌った『Cumbia Infierno』
ここのところずっと政治的にも文化的にも間違った方向に進んできたんじゃないかと、僕は思っていた。だから、現在経済危機によって大変な思いはしてるけど、最終的にはいい方向に行くと思っているよ。
ここ数年スペインは大変な不動産ブームだったんだ。不動産バブルで簡単にお金が入ってくるから、建物をどんどん建てた。建物をどんどん建てるということは、田舎をどんどん消していくこと。農村をつぶして、畑をつぶして、国外から安く仕入れて入れる。バルセロナに住んでいようがカリフォルニアに住んでいようが、スーパーで買い物をすると全く違いがないようになってしまった。そういう状況が、経済危機のおかげで止まったからね。
こうしてバルセロナの話をしているけど、僕が住んでいるのはバルセロナではなくてもっと田舎の方。僕たちが演奏する音楽も田舎風の音楽だよ。
-もうちょっと田舎って?
僕が住んでいるのはガリーガていう町で、ガウディみたいなモデルニズモの建物がたくさんある。本当はそこでインタビューができれば良かったんだけど。ガウディの建物の中に住んでるようなものだから、そこの住人はみんなちょっと頭がおかしいんだ。まるでラテンアメリカ文学で言うマジックリアリズムの想像の世界に住んでるようなものなんだから。
パチャンガの『Sonajeros』のPVは、おそらくガリーガで撮影されたもの。
カタルーニャの外に行くとみんなにバルセロナの音楽のこと聞かれるんだけど、僕らの音楽はバルセロナの音楽の影響を受けているものの、それほど都会的なものではなんくて、もっと素朴なものなんだ。田舎の村祭りで演奏されるような音楽。バルセロナの音楽と違うものを自分たちはやっている。この違いを説明するのは僕たちの音楽にとって重要なことなんだ。だって、もし僕たちが田舎の出身じゃなければクンビアなんて始めなかったからね。
クンビアと言えばコロンビアの音楽ですが、南米の音楽というのは身近なものでした?
小さいときから身近にあったよ。村祭りでは踊るための音楽が演奏されるんだけど、ラテンアメリカの音楽がリバイバル音楽として演奏されてたいたからね。チャチャチャとかサルサ、パチャンガなど。パチャンガというのはいろんなダンスミュージックを混ぜ合わせたお祭りのための音楽なんだ。
ルンバ・カタラーナはあなたにとって重要なものですか。
もちろん。ルンバ・カタラーナがとって興味深いのは、常に伝統を作り変えてきた音楽だから。ルーツはとても大事なものなんだけど、ルーツはそこから新しいものを作り出すためのもの。常に再創造していかなければいけない。
ジプシーの音楽にはバリエーションがいっぱいあって、それぞれの土地でちょっとずつ違う音楽を弾く。けれどもでもそのルーツというか、それがジプシー音楽だという点が失われないのが面白いよね。(後編はこちら
ちょっと映像が悪いですが、ルンバのプロモーションで訪れたニューヨークでペレと共演するジョアン。

dimarts, 3 de maig del 2011

Sant GaudenciアドリアとShhhhhの音楽噺

ルンバ・フェスタの主催者Adriàアドリアは、ルンバ好きが集まったグループSant Gaudenciの一員としてDJからImpagaosのマネージメントまで、ルンバの世界で幅広く活動中。かたや、エココロの記事を執筆したShhhhhDJやCDの企画・ディストリビューションなどで、日本のワールド・ミュージックの現場ではその名を知られる人物。今回はそんな二人の立ち話をちょっとだけご紹介します。
アドリア撮影2ショット
Shhhhh(以下S):日本はここからすごく遠くにある国だけど、音楽一緒に楽しむ風景っていうのはここバルセロナと同じ。今日ルンバのフェスタを実際に目にしてみて、僕のめざしてる日常と変わらないと思ったし。これは、世界中どこでも変わらないね。 
Adrià(以下A):本当にそうだと思うよ。スペインにもロック・シーン、レゲエ・シーンなど、いろいろあるしね。中でも、ルンバ・カタラーナの世界はまだ小さいから、ちょっとでもその世界に足を突っ込むと、あっという間に全員知り合いになれる。同じ趣味の人と会うのも早くて簡単だから、余計に興味深いんだよね。 
S:ルンバ・カタラーナっていうのは、君たちのルーツミュージックのひとつと思っていいのかな?
A:全くその通り。地域にはそれぞれの民族音楽があって、カタルーニャにはサルダーナ(手をつないで輪になって踊るカタルーニャの民族舞踏)のほかにもルンバ・カタラーナがある。同じようなギターを使うフラメンコが南スペイン、アンダルシアにもあるけど、ルンバ・カタラーナはそれとは違うもの。フラメンコよりもルンバの方が優れているとかいう問題ではなくて、カタルーニャ独自の文化なんだ。 
S:日本だと日本のルーツ・ミュージックで、日常的でこうやって遊ぶことってまずないんだよね。だからルンバの状況がすごく新鮮に感じられる。週末みんなで集まってるところを実際に見れて本当に嬉しい。
A:とは言っても僕たちはまだ少数派。結局、大多数の人はアメリカとかイギリスとかで売れてる音楽を聞いているよ。  
S:ここに集まってるルンバで踊ってる君たちも、他のジャンルの音楽も聴いたりしているの? 
A:もちろんそれ以外の音楽も聞いてるよ。ルンバだけを聞いてるわけじゃなくて、なんでも聴くって。ポップにしてもルンバにしても、同じジャンルを何十時間も聞き続けたら飽きちゃうだろ? ルンバ・カタラーナのDJをやってると、ルンバばかりで飽きないのかって良く言われるんだけど、ルンバだけを聞いてるわけじゃない、他のも聞いてるから大丈夫って答えてる。レゲエとかスカとかも好きで、例えば東京スカ・パラダイス・オーケストラも好き。東京スカ・パラダイス・オーケストラは4年ぐらい前から、毎年のようにバルセロナに来てるけどいつも満員なんだ。
     
S:小さい頃からルンバ・カタラーナを知っていた? 

A小さい頃から知っていたよ。僕は82年生まれで92年のちょうど10歳のときに、バルセロナ・オリンピックがあったから、それでルンバを知ったんだ。長い間カタルーニャの伝統的な音楽といえば、サルダーナだったんだけど、サルダーナはあまりにも伝統的過ぎて、踊るための音楽って感じじゃないんだよね。それに比べてルンバ・カタラーナは圧倒的に踊れる音楽。また、伝統的なも のってちょっと保守的な感じがするけど、ルンバ・カタラーナは、もっと民衆寄りの感じしてすごく好きなんだ。 

でもその頃はそんなことに気がついてなかったから、 ルンバに本格的に興味を持ったのはちょうど3年前ぐらいかな。チャルリ・ブラウン(現在のルンバシーンの立役者ですが、実はスペインのスカ・シーンを創設した人物でもあります。彼についてはこちらも参照ください。)の「カタルーニャで生まれたバンドがスカのいいバンド、レゲエのいいバンド、ロックのいいバンドになって、世界に出て行くっていうのはいいことさ。だけれど、どうせだったらカタルーニャで生まれたものを外に出すほうが面白いじゃないか」って言葉がきっかけだった。  


バルカンの人たちは、俺達にはこんなものがあるんだぞってバルカン音楽を世界に示している。それと同じことを僕たちもカタルーニャの音楽でできるということが、僕にとってすごく新鮮だった。ここで生まれたルンバ・カタラーナがあるんだからね。ルンバ・カタラーナの面白いところは、尚且つ、カタルーニャの外からルンバ・カタラーナをやりに、ここに来る人もいるところだね 

S:僕がルンバ・カタラーナを知ったのも、同じように3年前ぐらいだったと思う。90年代だったらまた状況は違ってただろうね。

A:僕は82年生まれだから90年代まだ子供だった。 

S:僕もほぼ同世代なんだけど、ずっと英米の音楽を聞いて育ってきて。

A:何年生まれ?  

S78年。英米のロックとかパンクとかがすごく好きだったけど、なんか違うんじゃないかっていうか、それに飽きてきていたときに、ルンバ・カタラーナが入ってきた。マヌ・チャオがでかいと思うんだけど。こっちでも、みんな英米系に飽きたから逆にルーツに戻ったのかな?  

A:そういうわけでもなくて、バルセロナも他の地域と同じで、いろんな音楽がある。ルンバをやる人たちも他の音楽をきく必要があるしね。個人的にやっぱりルンバだけでは物足りないな。ルンバ・カタラーナていうのはたくさんある選択肢の中のひとつ。でも自分たちの音楽だと思えるから、僕にとっても特別なんだ!!
この日のルンバ・フェスタの様子はエココロのサイトで。

こちらがサン・ガウデンシが製作したビデオは、毎年12月に開催されるDiada de la rumbaルンバの日2010年の模様です  


リンクに張ったサン・ガウデンシのブログ記事の和訳はこちらを参照ください。