dimecres, 18 d’agost del 2010

ルンバ講座11『ルンバとメスティサヘその1』

さて再び舞台はカタルーニャ。 
ルンバ・カタラーナを一つのジャンルとして定義づけたGato Perezガト・ペレス(詳しくはこちらの回を参照ください)ですが、彼のもう一つの功績が、現在ではMeztisajeメスティサヘ(混血)と呼ばれるルンバと他のジャンルの音楽の融合を始めたことです。
ガトはルンバに出会う前に『Ona Latinaラテンの波』と呼ばれるジャズ・ロック・フォークを融合した音楽を演奏していました。そんな彼にとっては違うジャンルの音楽を混ぜ合わせて自分の音楽を作るのは、至極当たり前のこと。積極的にルンバと他のジャンルの音楽を混ぜ合わせて、新しい音楽を作っていきます。これが、近年になってガト・ペレスの再評価が盛んになっている理由です。
特にアルゼンチン時代に親しんでいたラテン音楽を取り入れて、さらにラテン色を強めたサルサ風のルンバは、グラシア地区のルンバの代名詞ともなりました。その忠実な継承者が94年に結成して以来現在まで活動を続けているSabor de Gràciaサボール・デ・グラシア。こちらは、メスティサへ系ルンバからの豪華なゲスト陣を迎えたSabor pa' Rato』。
バルセロナ・メスティサヘの父とも言えるガトは、1990年に39歳の若さでこの世を去ってしまいますが、その後間もなく92年のバルセロナ・オリンピック開催によって、再びカタルーニャにルンバ・ブームが訪れます。10年間の沈黙を破ってルンバの王様Peretペレが復活し、ルンバ第二世代Los Manolosロス・マノロスの成功によって、ルンバは世界に知られるようにもなりました。
これと時を同じくして、ガトが理論付けたルンバをコンセプトに作品を制作するミュージシャンが現れます。それがカタルーニャの奇才Albert Plaアルベルト・プラ。カタルーニャ語で歌うシンガーソングライターとして知られたアルベルトが、オリンピック年に発表した「No Sólo De Rumba Vive El Hombre」は、ルンバをテーマにした異色のアルバムです。
ルンバはキューバ音楽からの影響で、サビの部分でボーカルとコーラスがコール&レスポンスが行われるのが定番なのですが、アルベルトはギリシア悲劇も同じ形式を持つことに注目して、この二つを重ね合わせるのです。ルンバとギリシア悲劇の融合とも言われているのが、妻を寝取られた男が引き起こした復讐の惨劇を描いた「Joaquin El Necio」。かなりグロテスクな映像も含まれているのでご注意を。
このPVを見るだけでもなんとなく伝わると思いますが、アルベルトはエキセントリックな人物として有名です。ある劇作家が彼の才能にほれ込んで、主演で舞台を制作しようとしたのですが、実際に彼と作業を始めてみると、相次ぐ彼の奇行に作業が全く進まず、その狂人ぶりに匙を投げ、計画を断念したという逸話があるほど。
この全曲スペイン語で歌った初のアルバムはいくつもの賞を受賞し、彼の代表作となりました。独自の解釈でルンバという新境地に挑戦するのアルベルトを脇から支えたのは、ペレのパルメロだったPeret Reyesペレ・レイェス(現Papawaパパウワ)とJohnny Tarradellaジョニー・タラデリャによるChipénチペンです。彼らの参加によって、趣の違う一曲一曲がルンバという糸でしっかりと繋がり、現在ではルンバの傑作アルバムの一つに数えられています。
こうしてルンバと他のジャンルの融合メスティサヘが確立されていったのです。

diumenge, 8 d’agost del 2010

日本語のルンバ誕生!!

今回は、ルンバの王様ことペレの代表曲『El Muerto Vivo』の日本語カバーをご紹介します。

元Los Manolosロス・マノロスのドラマーで、ルンバの情報サイトカラルンバの管理人をしているラモンと知り合ったのは、2008年12月に開催された第一回ルンバ・カタラーナシンポジウムに参加したとき、偶然席が隣になったのがきっかけでした。そのときに日本語でルンバをやりたいから手伝ってと連絡先を渡されたので、とりあえず話を聞いてみることにしました。

なんでもマノロス時代に招かれた日系企業のパーティで、楽しそうに踊る日本人を見て衝撃を受け、いつか日本語でルンバを作りたいと思ったそうで、この長年の夢を今のバンドRumba Tarumbaルンバ・タルンバ(バンドについての詳細はこちらをご覧ください)で実現したいから、是非とも協力して欲しいとのこと。さらに話を聞いてみると、彼のアイデアはルンバ・カタラーナで最も有名なペレの『El Muerto Vivo』の歌詞を日本語に訳して歌うというもので、この作詞の部分を私に担当してもらいたいということでした。

この曲は60年代にペレが大ヒットさせたために、ペレの楽曲だと思っている人が多いのですが、実はコロンビア人Guillermo González Arenasギエルモ・ゴンサレス・アレナスがオリジナルだそう。ペレが最新作でOjos de Brujoオホス・デ・ブルホのMarinaマリナを迎えたバージョンはちょっとサルサ色が強いので、Muchachito Bombo Infiernoムチャチート・ボンボ・インフィルノのJairoジャイロとのライブ・バージョンで。


もちろん訳詞なんてやったことはありませんでしたが、面白そうなことは引き受けてみることにしているので、早速作業ににとりかかりました。いつもやっている普通の翻訳と違って、音に乗せなければならないので文字数に限りがあるのと、スペイン人にも発音しやすい言葉を選ぶのが大変でしたが、スペイン人の夫に実験台になってもらって、訳語を決めていくのはなかなか楽しい作業でした。訳詞の内容は、オリジナルに忠実に作ったつもりです。

こうして、何とか形になったところで、次はレコーディング。楽器の演奏部分はすでに完成していて、発音指導ということで歌入れに立ち会っていたのですが、結局のところコーラスも歌うことに。歌に自信なんか全くないので散々渋ったのですが、口でカタルーニャ人4人に勝てるわけもなく…。この年になると生まれて初めての経験するってことが、めっきり少なくなるというか、ほとんどないので、終わってみれば楽しい経験になりましたが。

ところが、これで満足するようなラモンではなく、昨年4月のアルバム完成後は、ビデオクリップが作りたいといい続け、つい先日念願かなってビデオが完成しました。声だけならともかく、姿まで映っているビデオを紹介するのは、恥ずかしいことこの上ないのですが、ラモンの熱意に負けました…。それに上手いとか下手とかは関係なしに、好きな事はやってしまえというのが、こちらで学んだカタルーニャ流人生の楽しみ方。ということで、日本語版El Muerto Vivo『元気な死人』をご紹介します。


ルンバにぴったりの舞台、結婚パーティで撮影したもので、カメラを回してくれたのはチェ・スダカのドキュメンタリーなどを手がけるMarta Pujolマルタ・プジョルとミクスチャー系音楽のサイトRadiochangoラジオチャンゴのEl Magoエル・マゴことVinxヴィンス。まあ、私のパートはともかく、ルンバの楽しい雰囲気が伝わればいいなと思っています。

日本の皆さんにも歌って欲しいとラモンが自ら日本語字幕を付けたので、みなさん一緒に歌ってみてくださいね~。